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「主体的・対話的で深い学び」とは「自分を問うこと」ではないかと考察してみた。

直近の学習指導要領改正で「主体的・対話的で深い学び」という言葉が生まれました。中央教育審議会答申(平成 28 年 12 月)より抜粋した定義が以下です。


「主体的な学び」
学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら粘り強く取り組み、自己を振り返って次につなげること
「対話的な学び」
子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深めること
「深い学び」
習得・活用・探究の中で、より深く理解したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすること

今の学校現場ではこの「主体的・対話的で深い学び」をテーマに授業改善が行われている真っ只中ですが、今回、私なりにこの言葉を考えてみたいと思います。

私は、「主体的・対話的で深い学び」とは【自分を問うこと】と考えます。では、「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」を順に「問う」という視点で考察していきます

「主体的な学び」

主体的とは、誰か他人に言われなくても、自分から勝手に取り組んでいる状態のことです。
当然、自分がやりたくてやっていることですから、興味・関心があることでしょうし将来を見据えて粘り強く続けるでしょう。

ここで問われるのは
「自分はどうありたいのか」
ということです。これは「ありたい姿」といいます。

・どういう社会人になりたいのか
・どういうビジネスパーソンになりたいのか
・どういう家族を作りたいのか
・どういう人生を送りたいのか

ということです。このような問いが前提にあるからこそ
「では、目の前の課題にどう立ち向かうのか」
という主体的に学ぶための行動が出てくるのです。

ちょっと”難しい”と感じる人も多いかもしれません。ではこう考えるとどうでしょう。
ありたい姿とは要は「自分の信条・価値観」のことです。
よって
「いったい自分は何を大切にしているのだろうか」
と考えて
「結局、自分は何が好きなのか」
と自問していけば自ずと見えてくるものがあります。

これは「自分軸」とも言われます。自分の中に揺らぎのない一本の筋が通っていることです。
自分軸がある人は、自分の強みも理解していて「私という人間はこうである」と説明もできます。

一方で、自分軸がない人は主体的になれるはずもなく粘り強く続けらません。壁にぶつかるとすぐ「ポキっ」と折れてしまいます。

学校教育の中で、この”私はこれが好き!”と思うことを見つけられると良いのですが、
縦割りの科目と比較が伴う評価では、興味・関心を持つ前にせっかくの”好き”が打ち消される可能性もあります。(もちろん、"好き"が強化されて花が咲く場合もあるでしょうが)
そうらなないように授業者(教員やファシリテーター)は、生徒たちに「自分は何が好きなのか」を気づかせながら「主体的に学ぶ力」を養成することが必要となるでしょう。


「対話的な学び」


この言葉を置き換えると「他人」の考えが大切であるということです。
他人の意見は、自分の考えだけでは足りない視点を与えてくれたり、浅かった自分の考えの視座を高めてくれたりします。
視座が高まるから視野が広がりその分「伸びしろ」(気づく幅)が増えるのです。

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ビジネスパーソンの大切な思考技術の1つにクリティカルシンキングがあります。批判的思考と訳されるこの思考法は、「物事の前提を建設的に疑い、その本質を見極めていくこと」と言われ、多眼思考と呼ぶ人もいます。

対話的な学びとは、他の人からの多様な考えによって、自分の凝り固まった一方的な考えを開眼させることとも言えるのです。

これは単なるアドバイスとは違うものです。
アドバイスは1つ正解があり、そこに気づかせる指導的な側面がありますので思考が広がったり深まることはありません。

そこで「対話的な学び」で一番大切なのは「他人からの質問」ということになります。その質問によって「自分への問い」が生まれ、新しい視点を発見するということになります。
指導要領の定義でも「協働、対話によって自己の考えを広げ深めること」とあるとおりです。

ということは、相手の考えが自分と迎合せず、批判的(建設的な疑い)であればある程よいということになります。
相手から
「あなたとは違い、私はこう考えるが、このような見方がないか」
という問いかけです。
「あなたはこのような思い込みに囚われていないか」
と問われるシーンもあるでしょう。
このように意見をぶつけ合うことで、より本質的なことに気づいていけることになります。

実は自分軸がない人は、このような「他人からの鋭い問い」を得ることができません。
残念ながら薄っぺらい人には、「スバリと鋭い問い」をする価値もないと考えるからです。あえて返り血を浴びる可能性のあるリスクをとるはずもなく、表面的なやりとりに終始します。
これでは、他者から学ぶことはできません。
よって前段の「自分軸」を養成することは、「対話」にとっても大切なことなのです。

学校教育の中で、このように相互成長のための「ぶつかり合い」が起きれば良いのですが授業としての”落ち”をつけるために予定調和になってしまい「では結論はこういうことですね」となりがちです。
そうならないためには授業者(教員やファシリテーター)に、意見の相違を無理やり調整しない”大らかさ”が必要となってきます。まさに度量と覚悟が問われることになります。

「深い学び」

さて、「主体的学び」がきて「対話的学び」がきてこれで十分かと思いきやさらに「深い学び」が定義されています。
指導要領には「深い理解、問題を見い出す、創造する」という言葉が入っていますので、「深い学び」とは、より深いテーマの問題を解決するためのクリエイティブ性を発揮するという視点が入っていると考えられます。

このとき有効な問いがあります。自分がやっていることに対して
「そもそも何のために行っているのか」
という自問です。要は目的思考です。

「そもそも」「なんのため」と考えることで、深い理解に繋がります。
そこでまったく気づいていなかった問題を発見して、それを解決するために
新しい考えを創造する=クリエイティブするということです。

例えばこのような質問を自分自身に投げかけます。

「どのような思い込みから脱しようとしているのか?」
「どんな社会問題にどういった貢献をしようとしているのか?」
「その結果、どういう成果を出そうとしているのか?」

このような思考によって「深い学び」になっていくのです。

最近2015年9月に国連で採択されたSDGsが着目されています。
Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)として、17の大きな目標とそれらを達成するための具体的な169のターゲットで構成され2030年までに達成目標となっています。
SDGsに挙げられた「貧困をなくす」「ジェンダー平等」「クリーンエネルギー」「働きがいと経済成長」「平和と公正」「気候変動」などのテーマは、1つの価値観だけで問題解決できるものは1つもありません。それぞれの違いを乗り越えて解決していくものばかりです。

SDGsのような社会的なテーマを自分ごととして考えられるようになるためには、自分の役割や自分の仕事の再定義が必要であり、そのとき「深い学び」が必要となってきます。

日本政府もSDGs関連に合計約4000億円を投資するとして2019年末に「SDGsアクションプラン2020」を発表しています。
そこには、「Society5.0」「地方創生」「環境にやさしいまちづくり」「次世代・女性活躍」など私たちに身近なテーマも含まれております。

学校教育の中でも、このような社会的なテーマを身近に考えさせることができると良いと思います。今の子供たちの65%は今はない職業に就くと言われています。
ところが正解主義的なきれいな授業をやろうとしても学びは深まりません。
そうならないためには授業者(教員やファシリテーター)自身が、何か1つでも社会的なテーマに取り組んでいる必要があると思います。

社会的なテーマといってもあまり難しく考える必要もなく、肩に力を入れずに自分が興味があるテーマであればなんでもよいと思います。それでも見つからない方には、SDGsの4番の「質の高い教育をみんなに」があります。教育に関わるものにとってはまさにど真ん中のテーマです。まず自分の学校の中での身近な問題から「教育の質の向上」に取り組めることがあるかと思います。

私自身は社会活動として「できたこと塾」を立ち上げ、子供達の自己肯定感を育み行動変容力をアップするために、拙著「できたことノート」「できたこと手帳」のメソッドをお伝えする講演活動や学校のキャリア教育で使えるテキストブックの進呈などを行っています。
また、私の会社ネットマンでは、Edtech(学校ICT)を活用して、先生たちが効率的に仕事ができるよう「保護者連絡システム」や「連絡業務見える化システム」また「校務分掌の共有システム」を提供し、教員の業務削減を実現し、授業や子供達と向き合える時間を増やせるように、学校へのサポートに尽力をしていることろです。

以上「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」を順に「自分を問うこと」という切り口で考察してみました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。